■ 東京都中央区築地〜月島
- 聖路加ガーデン -
今日は仲間達と月島のもんじゃを食べつつ、下町の風景を撮影しようと言うことになった。昼に築地に集合して勝鬨橋を渡り、月島の商店街を抜けて、隅田川沿いを散策するルート。東京の原風景と現在が同居する町だ。
- 築地本願寺の本堂 -
築地に降り立ったついでに、築地本願寺に参拝する。築地本願寺はお寺としては今でもとても珍しく先進的な、洋風建築の石造寺院である。外から見るとまるでキリスト教会のようにも見える。グリフォンが守る入り口を入ると、やはり内部もキリスト教会の礼拝堂のように見えてしまう。
- 築地本願寺のステンドグラス -
しかしよくよく見れば、その調度は仏教のお寺さん。もちろん僧侶は袈裟をまとっている。
本尊を拝礼し、町へ繰り出そうとしたら、入り口のステンドグラスが目に入った。キリスト教様式とは微妙に違う絵柄とはいえ、お寺さんとしてはやや違和感を感じてしまう。
- 勝鬨橋界隈 -
築地本願寺を出て、隅田川を目指す。この界隈にも少しだけ古い町並みが残る。それでいて、保険会社の大きなビルや、きれいなマンションが立ち並び、東京の下町を感じさせる風景が続く。隅田川沿いに出ると、彼岸にも高層ビルが林立して、臨海都心の迫力ある町並みが広がっていた。
- 勝鬨橋界隈 -
川面を抗う小船、勝鬨橋を渡る車、そして、高いビルの上を越えて外つ国へ旅立つ飛行機。ここは隅田川の川幅のおかげで、都心でありながらとてもおおきな空が広がっている。そんな景色を海鳥たちは平然と眺めていた。
- 月島の商店街の入り口 -
勝鬨橋を渡って対岸に渡りしばらく歩くと、月島の入り口、「西仲通商店街」に着いた。商店街とは言っても、並ぶ店の半分ぐらいはもんじゃ焼きの店ではないだろうか?一見活気のある商店街も、その実、観光施設の一部と機能しているようだ。
- 月島の路地裏 -
もんじゃを食べる前に少し腹ごなし。月島の裏路地を探検してみる。商店街から一歩入れば、とても懐かしい造りの家々が立ち並ぶ。私も古い町の出身なので、庭付き一戸建てよりは、こういった片寄せあう密集民家のほうが懐かしく感じられる。
- 築島の路地裏 -
そんな裏路地のさらに裏。人同士がすれ違うのがやっとといった通路を覗くと、なんとも生活観のある風景が続いていた。外塀に自転車を立て、その横には植木鉢。床屋の三色看板なんてのはとてもよい風情だ。由緒正しい下町(?)ここにあり、といったところだろう。
- 下町の水路と高層マンション -
もんじゃを楽しんだ後は、月島の商店街を抜けて再び隅田川を目指す。商店街を抜けると佃島に入る。そこには小さな水路が住宅街の奥深くまで伸びてきている。きっと昔はここから漁船を出して小魚などを採り、佃煮にしていたのだろう。葦原の向こうのプレジャーボートと高層建築、不思議な組み合わせだ。
- 月島 西仲通商店街から望む高層マンション -
振り返れば、今通ってきた月島の商店街の道が真っ直ぐに伸びている。月島は埋立地の上に作られた明治の町並み。だから最初から区画整理されていて、道は全て碁盤の目。日本で最初期の近代的な計画都市。その向こうには未来の都市景観が広がっていた。
- 月島の町並み -
とは言うものの、この町なりの生活観は、こういった昭和の家並みから香ってくる。洗濯物をパンパンしたり、打ち水をしながら朝の挨拶と世間話をしたり、夕暮れを浴びて犬の散歩をしたりと、あの日の暖かい町の息吹が思い出されてならない。
- 住宅街にぽっかりと空いた空間 -
ただ、町中に詰め込まれているはずの生活感が、ところどころで途切れている。恐らくしばらく前までは民家が建っていたであろう場所は、土地収用のための一時的な処置か、駐車場になっていた。こんな所からでも、高層ビルが聳えて見えるのはなんとも皮肉なものだ。
- 再開発 -
こうして少しずつ路地がビルに押しつぶされ、小分けにされていた区画がまとめられて、やがて大きなビルになり、今風のドライな風の吹く街になってしまうのだろう。
- 西仲通商店街のワゴン販売 -
夕陽が照らす商店街に繰り出す人影に温かみを感じるのは、その地に根付いた暮らしがあるからだと思う。車で大型スーパーに出掛け、電子決済で買い物を済ますのではなく、自分で脚で歩き、人に金を払い、人から物を買う。それが暖かい暮らしの営みなのだろう。
- 中央大橋からスカイツリーを -
東京はどんどん変わってゆく。スカイツリーは500mに達し、完成を前に新しいシンボルタワーとなった。きっと月島や佃島といった町も、どんどんどんどん新しいシンボルを増やしながら、今の下町という姿を見せ続けてくれることだろう。
- 聖路加ガーデンに沈む隅田川の夕陽 -
聖路加ガーデンに沈む夕陽を背に、仲間達と今夜の酒場を探して門前中町を目指して、隅田川沿いの道を歩いてゆく。