琉球の城
2017.09.17
2017.09.17 / 座喜味城址 / 台風の雲間 / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
座喜味城の城郭は琉球の城の中で最も流麗であろう。残波岬をはるかに望む稜線にたなびく曲線美は、万里の長城にも見え、欧州の古城の表情さえ見せる。そのあでやかなるラインの上を、台風18号の兆しである大きな雲が横切っていた。
2017.09.17 / 座喜味城址 / 蒼天の城郭 / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
琉球の城は櫓や城門を持たない。そのため大和の城とは異なり、すべてが石造りの欧州の城のような表情を見せる。しかし一方、石垣の斜面は大和の城にも似て、垂直な城壁が続く万里の長城や欧州の城とは趣を異にする。やはりこの地は琉球という文化を持った地域なのだと感じた。
2017.09.17 / 今帰仁城址 / 按司は海原に島を望む / EOS 5Ds / EF24-105mm f4L IS USM
今帰仁城は沖縄本島北部では最も大きいと言われている城跡である。そしてこの近隣では唯一、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する世界遺産の一部でもある。また国の史跡にも指定されているが、まだまだ修復が十分とは言えず、荒れた状態のエリアが目立つ。しかし城郭の上から海を望めば、往時に一帯を治めた按司が見た海と空を思い出すことができる。
2017.09.17 / 勝連城址 / 天空を望む城郭 / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
勝連城は海に近い峯の頂に建つ城で、青空にそびえる雄姿が見られるはずだった。この日は台風18号が沖縄地方に接近しており、あいにくの天候になってしまった。そのため重たい雲の下、重々しい姿に見えてしまった。しかしこれもかえって劇画的で、印象深いものとなった。
2017.09.17 / 勝連城址 / 歴史の上を時代が飛ぶ / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
頂を上り、海を眺める。ここは沖縄。そして普天間基地や嘉手納基地にも近い場所。時折ジェットエンジンの爆音が近づき、遠ざかってゆく。またバラバラと重たい轟音数多くが聞こえてきたと思ったら、オスプレイが何機も通過していった。テレビの向こうの「時代」が眼前を飛んでいる。
情念を孕む緑
2017.09.18
2017.09.18 / 斎場御嶽 / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
琉球でもっとも尊いと言われている「斎場御嶽(せいふぁーうたき)」を訪ねた。石灰岩の奇岩に茂る鬱蒼とした緑が霊験を感じさせる。「斎場(せいふぁー)」とは「最上」の当て字、「御嶽」は「みたけ(御嶽)」の転訛ではないかと思う。沖縄における創造神である「阿摩美久(アマミク)」が降臨した久高島を望み拝むため、琉球王朝最上のイビ(神域)、嶽(タキ)(拝みの場)とされているという。祭壇をめぐるため、森の奥へと歩を進めた。
2017.09.18 / 斎場御嶽 / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
辞書サイトによると、「斎場御嶽」とは通称で、正式な名(神名)は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」というとのこと。「君ガ嶽」は「天孫の王の拝みの場」、「主ガ嶽ノイビ」は「支配者である王の拝みの場である神域」となるだろう。琉球のイブであるアマミキヨを祖とするシャーマン「祝女(ノロ)」が尊い儀式を行うために男子禁制とされ、王朝時代の王ですら服装を整えなければ入域できない場所であった。
2017.09.18 / 斎場御嶽 / 三庫理(さんぐーい) / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
巨大な奇岩、鬱蒼とした熱帯雨林の相を呈する森は、存在するだけで神聖性が湧き出る。これまで訪ねた多くの神聖な森で感じた霊気である。しかし沖縄で最も尊いと言われる神域でありながら、地の力、森の力が弱いように思われた。観光化されたために森が弱ったせいでもあるだろう。しかしそれとは何かが違う。東北の名もない神域、熊野の奥地の生気みなぎる森、人工的ながら何かの力を宿された神宮の森。これらの領域ほどの地力をあまり感じられなかった。
2017.09.18 / 斎場御嶽 / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
戦争や観光化による破壊も何かに影響しているだろう。だがもともとこの地は神域ではなく、穢れない清らかではあったが、神聖性とは無縁の森だったのではないだろうか。しかし、そこからもたらされる恵みを神聖視したヒトが、情念を植え付け積層させていったがゆえに、このような場所になったのではないかと感じた。それは戦後の過酷な歴史に積み上げられた情念だけではない。そして薩摩や大陸の多重支配の下で虐げられてきた歴史の情念だけでもない。長い長い何かがあるような気がしてならない。
2017.09.18 / 斎場御嶽 / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
太平洋戦争がなかったら、薩摩の侵攻がなかったら、琉球は幸せの楽園だったのか、と考えることがある。決して豊穣ではない石灰岩の台地で命をつなぎ、国家を建設するには、幾万もの辛酸の海を越えたことだろう。その労苦の挙句、現在の歴史で沖縄が当事者としての地位を半分失っていることも深い念となっていることは間違いない。我々には近世から戦後の情念がもっとも強く感じられるのだろうが、しかしその下にはもっともっと長い念が降り積もっており、それらがこの領域の霊気となっているように感じられた。
2017.09.18 / 斎場御嶽 / EOS 5Ds / EF17-40mm f4L USM
沖縄では多くの戦跡を目にする。神域であるこの地にもアイスバーグ作戦の端緒となったであろう艦砲射撃の跡が遺されている。本島にしてもどこにしても、御嶽という場所を訪ねて、素直に神聖性だけを感じ取ることができない。そこには戦争の記憶や、被支配というわかりやすい傷跡だけでなく、望んでもいない共存を力ずくで強いられ、他と相いれない何かを募らせ怨念となったものが棲んでいるように思う。この砲撃の傷跡の下、この地が孕んだ深い念は、どんな姿になってはじけ出るのだろうか。
2017.09.18 / 斎場御嶽 / EOS 5Ds / EF24-105mm f4L IS USM
この旅では共同体の安寧を祈る祝女の姿を何度見た。古いシャーマンの伝統を受け継ぐその背中には、伝統ある大和の神社の神職の権威的な霊気とは違う、野生の念、人の根源的な念を漂わせているように感じた。それは我々の幸せを邪魔しないでほしい、という単純な願いであるように感じた。またそれは、本心隠し通す障壁の向こうにうっすらと垣間見えるものだった。神域の沖に見える島に降り立った神は、いまどんな気持ちでこちら側を見ているのだろう。天から降り立った時、この地が決して安寧の地でいられないことを、神ならば気づけなかったのだろうか。