Sweet Heaven Photograph & Words.
この国の森の色
2015.05.07
2015.05.07 / この国の森の色 / 明治神宮 / Canon EOS 5D MarkU / EF 70-200mm F2.8 L IS USM
我々のそばにずっと寄り添っている森。森との共存を儀式化した信仰がもたらす実効は、この森を思う日本人の本能が、神代から計算したものなのだろうか。
2015.05.07 / この国の森の色 / 明治神宮 / Canon EOS 5D MarkU / EF 70-200mm F2.8 L IS USM
新緑の季節。木々が鮮やかな緑をまとい、日々輝きを増してゆく。そんな緑に、この国の根幹となっているサイクルを思う。
2015.05.07 / この国の森の色 / 明治神宮 / Canon EOS 5D MarkU / EF 24mm F1.4 L USM
鎮守の森は、人を拒む神域である。本来神道では、森自体を神体として奉った。時代を経るごとに神体は様々な依り代に変わった。本来の信仰の目的である「恵み」をもたらす森を、崇拝対象の一つとして忘れることは少なかった。
2015.05.07 / この国の森の色 / 明治神宮 / Canon EOS 5D MarkU / EF 17-40mm F4 L USM
明治神宮の森は、人工的に作られた神域である。人工林であることは知っていたが、武蔵野の森を作り変えたものと思っていた。しかし実際は元々何もない荒地に科学的、計画的に植林された森林だという。
2015.05.07 / この国の森の色 / 明治神宮 / Canon EOS 5D MarkU / EF 70-200mm F2.8 L IS USM
この森を訪ねた日の夜、明治神宮の森の造営に関するテレビ番組が放送された。それによれば、1915年に当時の最新の科学知識を活用して、人間が管理せずとも、永続的に再生を続ける森として設計・構築された。
2015.05.07 / この国の森の色 / 明治神宮 / Canon EOS 5D MarkU / EF 17-40mm F4 L USM
当時は150年でようやく完成体に成長し、自己再生する神域となる計画だったらしい。しかし実際は100年で当初計画の形態をなし、土中の微生物を底辺に、肉食猛禽類を頂点とする生態系がサイクルしている。これは汚染と破壊に蝕まれた、大都市の中心ではまさに神がかり的なことだ。
2015.05.07 / この国の森の色 / 明治神宮 / Canon EOS 5D MarkU / EF 17-40mm F4 L USM
この神がかり的な森は、その成長速度だけでなく、実効性においても作り出したはずの人の知識を凌駕する。汚染浄化、ヒートアイランド緩和、武蔵野の生物のバイオスフィア・・・想定されていなかった科学的な効果は数多いだろう。またそれだけでなく都会のオアシスとしても機能し、観光などで経済効果も生み出す。
2015.05.07 / この国の森の色 / 小平市保全緑地 / Canon EOS 5D MarkU / EF 24-105mm F4 L IS USM
神宮の森は人の科学が作り出した、少なくとも東京では最高の構築物だろう。その神宮の森が目指した自己再生する森は、古来から人が里山として作り続けていたものと似ている。それは森、川、湖沼、畑が作り出す永続的なサイクルである。
2015.05.07 / この国の森の色 / 小平市保全緑地 / Canon EOS 5D MarkU / EF 24-105mm F4 L IS USM
多摩の町々では、今でも多くの里山や雑木林を見ることができる。実際に生産基盤として活用されている林は、もう多くはない。しかし保全林や公園として管理されていて、成長と更新が繰り返されている。
2015.05.07 / この国の森の色 / 小平市保全緑地 / Canon EOS 5D MarkU / EF 24-105mm F4 L IS USM
このなんでもない森の姿は、100年前に一大国家プロジェクトとして構築された神宮の森ととてもよく似ている。人々が恐れ敬う崇敬の対象であるはずの森が、ここではなんでもない街角の風景のひとつなのだ。
2015.05.07 / この国の森の色 / 小平市保全緑地 / Canon EOS 5D MarkU / EF 24-105mm F4 L IS USM
科学のない時代から、人は森の恵の本質の気付いていて、神聖視していた。森の本質に祈るための依代が、いつしかそれ自体が神聖化して、本来の信仰対象であるはずの森が付随物になってしまったのではないだろうか。
2015.05.07 / この国の森の色 / 奥多摩 白丸湖 / Canon EOS 5D MarkU / EF 70-200mm F2.8 L IS USM
けれども、そのこととて予めプログラムされたことなのかもしれない。人と森の恵みの直接的な関係が断絶したとき、人は山を崩して文明を巨大化させていった。しかし神聖な何かが一部の森を守り、命の箱舟となっていることも事実である。
2015.05.07 / この国の森の色 / 奥多摩 白丸湖 / Canon EOS 5D MarkU / EF 70-200mm F2.8 L IS USM
深い山に入ると今でもその神々しさに圧倒される。里山として我々と共存してきた緑と、この山の緑はまた異質だ。里山と人の付き合いは数千年。人間の尺度ではとても長い。しかしこの森は何十万何百万年もこの大地を育んできた。
2015.05.07 / この国の森の色 / 奥多摩 白丸湖 / Canon EOS 5D MarkU / EF 70-200mm F2.8 L IS USM
全ての命を溶かし込んだような濃く深い緑。
2015.05.07 / この国の森の色 / 奥多摩 白丸湖 / Canon EOS 5D MarkU / EF 70-200mm F2.8 L IS USM
その深い緑の中から湧き上がる、輝くように眩しい緑。
2015.05.07 / この国の森の色 / 奥多摩 小澤酒造 / Canon EOS 5D MarkU / EF 24-105mm F4 L IS USM
里山や鎮守の森で穏やかにすすんでゆく生命の更新が、この山では毎年爆発的な力強さで、燃え盛っている。
2015.05.07 / この国の森の色 / 国分寺 殿ヶ谷戸庭園 / Canon EOS 60D / EF-S 24mm F2.8 STM
季節は初夏。森の木陰では、小さな命が涼しい風に吹かれている。
2015.05.07 / この国の森の色 / 国分寺 殿ヶ谷戸庭園 / Canon EOS 60D / EF-S 24mm F2.8 STM
町の庭園も鮮やかな色に染まっている。でも人が見るため作った緑の園は、人が手を加えなければ、いつしか山の一部に戻ってしまう。
2015.05.07 / この国の森の色 / 国分寺 殿ヶ谷戸庭園 / Canon EOS 60D / EF-S 24mm F2.8 STM
むしろできるだけ自然に任せたほうが、より確実に生命が更新される。結局人の手が作った自然は不完全なものなのだ。
2015.05.07 / この国の森の色 / 国分寺 殿ヶ谷戸庭園 / Canon EOS 60D / EF-S 24mm F2.8 STM
その一方、100年前の神宮の森の構築は、神社の造成ではなく、自然回復工事だったとも言える。つまり、我々は失ったものを取り戻す技術を既に持っているのだ。
2015.05.07 / この国の森の色 / 小平市保全緑地 / Canon EOS 5D MarkU / EF 24-105mm F4 L IS USM
もしかしたら、もう少し先の未来は、豊かさや便利さを放棄して、人間をもう一度小さな生命のサイクルに回帰させる時代になるのかもしれない。
- おわり -
2015.05.07